=597日=
珍しく騒音を聞くこともなく穏やかに目を覚ました時には、もう日が南中に差し掛かろうとしている時だった。
寝ぼけ眼で部屋を見渡す、誰もいない部屋には明かりもついておらず、昼にして夕刻ばりのほの暗さを感じた。
この時間だと、妹は買い出しに出掛けたまま何処かで奥さんと立ち話でもしているのだろうか、じっちゃんはきっと羊の世話だろう。
ぼうっと向かいの壁を眺めながら、遠くの方で子供が騒ぐ声を耳に捉える。
重い身体をなんとか起こし、ベルトを締め直しながらベッドを出る。髪にまともに櫛をさそうともせず、背を丸めながら階段を降りて居間の机へと向かった。
酷い喉の渇きを感じて、机の上に置かれた大きな牛乳瓶に手をかけた。隣に並んでいたコップを白いそれで満たすと、徐々にコップから温度の低さが伝わってきた。
その時、はっと何かが思い出され、飲み込まれそうになって足がすくむのも、とんでもない悲壮感を思い返されるのも、珍しい事ではなかった。
あれからどれ程経ったのだろうか。信頼できる仲間逹と共に世界を巡り歩いた日々が、途切れ途切れに順番に思い出される。
自分達が守った世界は平和だった。これがしばらくの間安定するだろうという事に確信はないが、そう信じなければなんと悲しい事だろうか。
短い期間でいながら色々な事がありすぎたが、失ったものより、守ったものの方が大きいのだから。あるいは、今まで自分にそう言い聞かせてきたのだから。
窓の外を眺めながら、少しずつ奥へ辿っていく。ぼやけた視界では判別できない村の奥の地平線は、空と同化して見えた。
沢山のものを見てきた。あの先にはまだ、色々なものがある。
きっと空の果ては海の底と繋がっているのだと思う。
そこには夜空に浮かんで見えるようにいくつもの惑星が沈んでおり、詰まる様な寒さに晒されているのだろう。
時折、体の芯から滲む様に酷く冷たい感触が蘇る時がある。その時、自分は一気に海の底に沈められるように、飛行竜から白い湖に落とされた時のことを思い出してしまうのだ。
湖底へ沈んで、助からないと悟った時、感情と呼べるか解らない色んな物が渦巻いた。
あの時の事など旅の途中では、考えるだけぼうっとしてふわふわするだけだった。
むしろ死にそうだったんだ、と言うことまでも忘れてしまう毎日だったし、結果的に助かった事に感謝しながら、この先はそんな心配なんてないのだろうと考えて過ごしてきた。
何もかも、助け合える、信じ合える仲間がいたからだ。
しかし、上昇するリフトから段々と小さくなっていくあの姿を見たとき、あの時の体感がたった今起こっている事の様に蘇った。
どうしようもなくて、視界が遮られるまで叫ぶ事しかできなかった。
いつも何にも動じなかった彼の冷静な態度はやはりその時でさえも、深層意思の強さを反映させるように揺るがなかった。
むしろ、あの時海底に埋もれると悟って酷く動揺したのは、他ならぬ自分自身だ。
寒くて暗い奥底に落ちる。不安と崩壊寸前の理性が絡まって声帯なんて使い物にならなかった。
全部吸収されていく呆気なさと共に押し寄せた情けなさ。
あんな場所に行ってはいけない。
聞こえない叫びを上げながら伸ばした手は宙を掻いた。
届かないまま、海底洞窟も廃工場も目の前で崩れ去っていく。
それを目前にして、今でも度々に思い出されるのは、2度に渡る水の悲劇と感覚。
脳にそれが過る度、時間が不安定な時を刻んでしまう。
しかし今更ながら思うのだ。
隣人を捕らえられたその時から、彼はもう既に海底の惑星に居たのではないかと。
何にもすがる事の出来なくなった彼はきっと広大すぎる空の果ての一片、この平和で暖かい星とはまた正反対の場所で、後悔や不安に苛まれながら、走り続けた分の休息をとりつつ、今もなおこちらを見据えているに違いない。
空に広がる海が白い波を立てた。
日の当たるこの場所からは最も離れ、影に冷えた海底惑星で、彼は597日間の1日を過ごしているのだろう。
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立ち尽くしたまま窓の奥を眺め続け、その遠さに目眩する。
自分は彼の597日を共有していく事が出来るだろうか?
もし不可能だとしても、自分は彼とそっくりの世界で、597日の一片を味わった事があるのだ。
地平線がはっきり判別できるようになった頃には、手に持っている物の中身は、すっかりぬるくなってしまっていた。
それでも陽光を受けて光っているように見える枠外の平和な世界を、ただどうしようもなく眺めていた。
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Lion/Stan
一度沈んだスタンと、ずっと沈んでるリオン。
飛行竜脱出後と海底洞窟での出来事を思い返しながら関連付けるっていうあれで・・・。(無理がある。
597日には微かな意味しかありませんので、追求する必要もないですが勘のいい人ならなんとなくどこからきた数値なのか解ると思います。